“生きる”ということ
朝、見上げる空が幾分高くて、秋の訪れを感じます。
日が高くなればまだまだ残暑厳しい毎日ですが、
徐々に秋の雲が増してきて、もうすぐ行き逢いの空。
8月ももう終わりですね。
泳ぎや息継ぎを上手に出来ないまま海の中にいるような
毎日で、もがいてもがいて、1日1日がやっとの思い
心がしぼんでしまいそうになる度に、何処かで誰かに
そっと助けられていて...
先日、ありえないタイミングで、お世話になっている
しばきり園さんの9年前のお茶をいただく機会がありました
届けてくれたのは、九州・宮崎のマルイシ園のご主人。
多くを語らずとも、見通されてしまうのが怖くもありますが、
自然の中で、自然と真っ直ぐ向き合う姿勢が素敵な方です。
9年前のお茶...
普通であれば、痛んでしまうはずのものが、痛むどころか
熟成を重ね、いまだに命の光が灯っていて...
しばきり園現ご当主作であり、ご当主のお父さまの想いが
お茶を通じてまだそこに息づいている...
本質的な、“生きる”意味って、こういうことなのかな...
日々の生活の些細なことに揺らされながら、時々、こうして
気づかせてもらえること...
自分の役割をきちんと見出せるように、果たせるように
明日からまた、向き合う日々に精進、精進...
日が高くなればまだまだ残暑厳しい毎日ですが、
徐々に秋の雲が増してきて、もうすぐ行き逢いの空。
8月ももう終わりですね。
泳ぎや息継ぎを上手に出来ないまま海の中にいるような
毎日で、もがいてもがいて、1日1日がやっとの思い
心がしぼんでしまいそうになる度に、何処かで誰かに
そっと助けられていて...
先日、ありえないタイミングで、お世話になっている
しばきり園さんの9年前のお茶をいただく機会がありました
届けてくれたのは、九州・宮崎のマルイシ園のご主人。
多くを語らずとも、見通されてしまうのが怖くもありますが、
自然の中で、自然と真っ直ぐ向き合う姿勢が素敵な方です。
9年前のお茶...
普通であれば、痛んでしまうはずのものが、痛むどころか
熟成を重ね、いまだに命の光が灯っていて...
しばきり園現ご当主作であり、ご当主のお父さまの想いが
お茶を通じてまだそこに息づいている...
本質的な、“生きる”意味って、こういうことなのかな...
日々の生活の些細なことに揺らされながら、時々、こうして
気づかせてもらえること...
自分の役割をきちんと見出せるように、果たせるように
明日からまた、向き合う日々に精進、精進...
2011年08月28日 Posted byお茶セラピストのたまご ひよこまめ at 20:31 │Comments(0) │徒然
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