ありのままを観る、ということ
仏教に
『 観自在(かんじざい) 』
という言葉があります。
般若心経の中にも出てくる言葉なので、
ご存知の方もいるかもしれません。
観自在とは、
『すべての物事を、自由自在に見ることができること』
それだけを聞くと、???ですね。
自分の見たいものは、自分の目で見てるのでは?と
思ってしまいますが、同じものや人を見るにしても、
心の在り方で、その見え方は変わってしまうのです。
例えば、『 雨 』
雨が降ると、たいていの人は移動や屋外の作業に困り
「やれやれ」と思いますよね。
でも、水不足の地域や国の人にとっては、恵みの雨。
長年の片想いが実った女の子は、雨なんか気になら
ないくらい、幸せ気分全開だったり、逆に恋人から
振られてしまった人なら、雨を呪いたくなるかもしれ
ません。(苦笑)
雨は全ての人に、ものに、平等に恵みを与えていても、
受け取る側の思いで、こんなにも意味が変わってしまう。
人は、目で物事を見ているようで、実は心や感情を
通して(自分の都合で)それを見ているのです。
嫉妬や妬みが心にあれば、どんな優しい人の行いも
歪んで見えてしまう。逆に、幸せいっぱいの時は、
普段は怒るような出来事にも寛容になれてしまう。
そんな感情の揺らぎなく、在りのまま、物事や人の
想いを受け止めることができたなら、日常の些細な
いざこざや、世界の戦争もなくなるかもしれない..
自由に物事を見ているようで、私たちが見ている角度
というのは、とても不自由な捉え方であるということ。
『 観自在 』
この言葉は、それを気づかせてくれる言葉のような
気がします。
日常のことや、途方もないことに想いを巡らせつつ、
日々の生活の中で私がするべきことは、自分自身に
向き合い、精進すること。
内側からの気づきの声を逃さないよう、歩み続ける
のみです。
2010年12月12日 Posted byお茶セラピストのたまご ひよこまめ at 23:59 │Comments(0) │日本の心・文化
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